「ワルキューレ」5
手塚 剣の動機が鳴り、愛の断念の動機が鳴りという感じで、「彼らを飲み込んだ運命は一体何なんだ」という調子で。フロイトがウイーンで精神分析をやっていたのとほぼ同じときに、ワーグナーは楽劇の中でそれをやったわけです。
運営者 それは逆だと思う。ワーグナーは自分が作った世界があって、聴く客の退屈は考えずに、モチーフとして並べているだけなのでは。
手塚 だけど、後から解釈すれば全部説明がつくわけだから。「なぜここで愛の断念の動機が鳴るのか」とか。
運営者 それは、音楽が動作とセリフにばっちり結び付いてますからね。そこになければならないものを置いているわけですから。
手塚 そういう意味では、音楽で精神分析をやっているわけでしょう。フロイトが言葉で説明していたことを、言葉無しで音楽で表したんだよ、彼は。
運営者 それはまったくその通りですね、それを逆に言うと、野中郁次郎先生は意識下の話をテーマにしていて、それもアメリカで意識下の話が流行する前に『知識創造企業』を書いている、これはすごい。そして僕らもそれに惹かれていった。彼は、81年に『失敗の本質』で、「なぜ日本軍が間違ったのか」を、彼らの意識や動機の部分まで考えて分析したわけです。それはアメリカ人が考えるはるか前に本質的なところにたどり着いていると思います。本人はアリソンの『決断の本質』をパクったと言っていますが、結論は違っていたと思う。
ということはワーグナーも……。
手塚 だからワーグナーの楽劇は、現代の背広を着たビジネスマンが登場人物として出てくるような演出でも出来てしまうわけ。
運営者 バイエルンのレーンホフの演出なんかそうですよね。「神々の黄昏」はそのパターンが多いんじゃないかな。
手塚 後付けで考えると、ワーグナーは人間の本質にたどり着いていたんじゃないかな。ま、シェークスピアもそうかもしれないけど。